大学生活日記

無謀にも「農学部」というところを目指してしまった私。
大学時代の、「弱視者」的学生生活レポートです。


受験から入学まで
自己紹介
講義
実験・実習
就職活動
日常生活
学内の表示



 

受験から入学まで
   
 センター試験では障害者に対して特別措置を設けることができます。
弱視者の場合、拡大問題冊子・点字問題冊子の使用と試験時間の延長
を要求できますが、結局これらは申請しませんでした。
ルーペの持ち込みと机の位置の指定(最前列の中央)は、許可されました。
 2次試験の時は、センター試験に準じた形式で大学に直接配慮を申請しましたが、すんなりと受け入れてくださり、このときにすでに入学後の配慮についても問い合わせがありました。配慮の必要性は特に思いつくことがなかったので、特にお願いはしませんでした。

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自己紹介

入学式後の、最初のクラスの顔合わせの時、自己紹介のコーナーがありました。
「私は目が悪いので、近くの席に座ることがあったら、
 黒板に書いたのが見えないときは教えてください、
 それから、遠いと人の顔がわからず、気がつかないので
 見かけたら声をかけてくださいね。」
確か、こんな風に言ったと思います。
でも、何しろ学科に1学年60人もいたから、名簿順で最後の方の私は、あまり真剣に聞いてもらえなかったみたいです。
小中高校では、あらかじめ先生も私が目が悪いんだということを知っていますから、なにもわざわざ言わなくても、周りには目が悪いことがすぐに承知されてしまうのですが、大学はそうはいきません。
自分で言わないと誰も気づいてくれないような、予感がしていました。
ですから、勇気はいりましたが、はっきり伝えなくては、と思い、言いました。
でも、結局3年生くらいになって初めて、私が弱視だということがようやく
クラスみんなに知られたようです。

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講義

 講義で心配していたのは良い座席の確保ですが、これはほとんど
問題になりませんでした。なぜなら、自由に座席を選べるにも関わらず、
最前列には誰も座っていないことがほとんどだったからです。
ただし、200人もはいる階段状の講義室では、黒板が最前列から遠いので、板書はほとんど見えませんでした。最前列のさらに前に自分用の座席を設けると良かったのですが、さすがに恥ずかしくてできませんでした
このころは単眼鏡の存在も知りませんでした。
入学当初は緊張もしていましたから、朝、講義の始まる30分前には来て、席取りをしていましたが、何回か講義が続くと、みんなの座る位置が固定されてくるので、あわてなくても大丈夫になってきます。
 ただし、私がどうして、そこまでして教卓の前に座るのか、
ほとんどの人は、私の後ろ姿しか知らないのですから、私が弱視であることなど、ほとんどの人が知らないでいるのでしょう。

 各教官には、講義の初日に弱視のことを説明し、
板書の見えないときは席を立って黒板を見に行くことを
許してもらいました。ほとんどの教官は快く了解してくださいました。
講義は、聴くことに集中していて、板書が見えないときも何とか対応していたように思います。(というわけでノートはまともに取っていないことが多かった)

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実験・実習

 理系の学部はどうしても実験・実習が多くなると思うのですが、
特に生物学系の実験は、目がよく見えること、手先が器用なことを
求められて当然なのです。
それを自分ではわかっていたつもりですが、他の実験を選ぶことが
できたのですが、あえて自分のやりたい物を選んでしまっていました。

例として、1年次の生物学実験の時の話をします。

実験を履修申告する前に、担当教官の所へ行って
自分の目の状況を説明しました。
内容は、たとえば

    ・眼振があるので凝視が難しいこと
    ・観察に時間がかかること
    ・ちゃんと観察するために、顕微鏡の倍率をみんなより
     高くしてほしい

こんな感じで説明したのですが、厳しいことを言われました。
「正確にスケッチを書けなかったら単位は出せない。」と、はっきり言われました。
私も、悔しかったので、「それでもかまいません、履修させてください。」
と言ってしまうのでした。

やっぱり、大変でした・・・。
基礎的な実験なので、ほとんどが観察・スケッチなのですが、
私の場合、右目で顕微鏡を覗き、標本の構造を記憶して、よく頭の中でかみ砕いてから、顕微鏡から顔をどかして、ケント紙に向き直り、スケッチしていました。
それに、眼振のために顕微鏡の視野が小刻みにふるえるのです。
ぐるぐる回っているんじゃないかと思うことも・・・
さらに、顕微鏡で覗きながらの解剖は、普段無意識にしているように、
手で触れて距離感を確かめることもできず、ほとんどお手上げでした。

1時から実験をはじめて、4時半ごろみんな帰っていくのに、
私と、2、3人が残って、8時とか9時までかかってやっていました。
時間がかかるのは私はいいのですが、教官は監督していなければならないので、大変だったと思います。
当然、体力と集中力はいりますし、目は神経痛になります。
それでも、好きなことをやっているので、気持ちは大丈夫でした。

3年になると、週に2・3日実験があります。
3年にもなると、教授も学生も何となく打ち解けてきて、私も困ったときはすぐに教官や近くの人に頼むことができるようになってきました。
グループで組んで実験をするときは、私が頼めば、危ないところはやってもらったり、顕微鏡のセッティングをしてくれたり、という人がいて、とても心強かったですし、 教官もある程度まで手伝ってくれる方もいました。

おかげさまで、実験は楽しいものになりましたが、
学術的に言うと、決して私は単位をもらえる内容ではありません。
自分にできる範囲で、ある程度の厳密さで観察をしていても、
私のスケッチはみんなより書いている内容が少ない。
「ここまでしか見えない」ということが出てくるのですね。
これは、好奇心とは裏腹に、とっても悔しくて、惨めになるんですが、こればかりは自分で「ここまで」という締め切りを作って、そこで妥協するようにしていたように思います。
 
 

 2年次に、必修で「農場実習」がありました。
その名の通り、農場でいろいろな農作業を体験しながら、実物の
作物を観察したり、農業機械を動かしてみたり、といったようなことをします。

 屋外観察では、私はまぶしい所ををやや苦手としていることもあり、外で教官が作物などを手にとって見せても、よっぽど近くでないと見えていませんでした。
実は、ほとんど、教科書などで見た写真や絵を想像しながら話を聞いていたものです。
教官を中心に学生が囲んで話を聞いているようなときは、 実習が始まったばかりの頃は、なかなか前の方にでていって見ることはできなかったのですが、ある時、「ごめん、見えないから前に入れて。」と、言えるようになりました。
それからは、教官の説明のときは、自然と前の方で見せてもらえました。

3年次の後期から研究室へ配属になるのですが、
ここまで書いたとおり、実験では大変な思いをしたので、
研究室をどこにするのか、とても迷いました。
各研究室の先輩や教授に会って、自分の目の状況で部屋でやっている研究をやっていけるのか、聞いてみました。
結局、蔬菜花卉園芸学というところを選びました。

研究室の受け入れには、何も問題はありませんでした。
ただ、私自身ができる実験方法が限られていたので、提示された卒論のテーマの中から自分で選ぶことは実質出来ませんでした。私ができる方法のみで、テーマを設定してもらいました。

たとえば、「クリーンベンチ」という、細胞の培養に使う
無菌状態に保たれた大きなガラス囲いの机があるのですが、
その中で作業するには、腕だけを殺菌してつっこむ形になるので、
手元が見えないからといって顔を近づけられないので、
中で細かい作業は、私にはできませんでした。

卒論の内容は、ネギの仲間で、花を観賞する用途で栽培されている
20種類ほどを、実際に栽培して、その生育の様子を観察して、比較し、
今後、岩手県周辺で商業目的の栽培を普及させるための基礎資料を作る、というものでした。
(詳しいことは、これから「ねぎぼうず畑」に載せます。)
観察は、肉眼、ルーペ、顕微鏡を使いました。
私のできる範囲での実験ではあったものの、たくさんの種類の
植物を扱うためか、作業量がとてもとても多くて、
目の疲労や体力的な面で苦労しました。
研究室の仲間に、もっと手伝ってもらえば良かったのですが・・・。

いまだに、卒論の内容が不十分だったとは思いますが、
何とか評価をいただいて、無事卒業することができました。

弱視ゆえ、学科の選択に制限があるのはしかたがないと思いますが、
自分がやりたいものを選んだとき、必要なのは、
教授や友達とのコミュニケーションを密にとって、しかも大切にすることだと思います。
自分が弱視であることをできるだけ多くの友達に知ってもらうといいと思います。
 

振り返ってみると、私は自分の興味のまま、好きな授業を選択して来たことを、本当に良かったと思っています。
それができたのは、担当の教官と、そしてクラスの人たちの協力があったからです。本当に感謝しています。
ちょっと、無理をしたな、というときもありました。
どこかで妥協することも必要かもしれません。
でも、大学なのだから、多少難しいことがあっても、挑戦していいと思います。
弱視者で、私と同じような分野に興味を持った方には、ぜひ、挑戦してみてほしいです。

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就職活動

 さすがに4年生ともなると、就職のことが大きな問題になってきます。

 私はまだ定職についたわけではないので、断定的には言えないのですが、大学では、やりたいことを「やりたい!」と主張すれば、何らかの形で
やらせてもらえましたが、就職してからはそうではなく、まず自分にできることを探さなければ、と思っています。
 このまま大学院に残り、やがては研究職に進むことも考えましたが、実験方法が制限されること、ひどく眼精疲労することを考えると、私はお給料はもらえないなと思ったので、院に進むことは考えませんでした。

そこで、就職活動に取りかかったのですが、
私は、本命の公務員(県職、国家2種)と民間企業を掛け持ちしました。

まず、公務員試験ですが、
国家では、センター試験と同じような特別措置を受けることができます。
私はルーペの持ち込みと座席の指定をお願いしました。
県や市では、それぞれ対応が違いました。
活字印刷文での出題に対応できることが条件に加えられている自治体もありました。
 

民間企業では、種苗会社、スーパーマーケット、ホームセンター、青果卸売業、養鶏の会社、新聞社などを受けました。
身障手帳に該当しない私の弱視のことは、健康診断書に眼病の名前が書かれているだけで、あとは自分で説明するしかありません。
ところが、この不況の中、ひとことでも弱視のことを言ったら、
それだけで落とされる、という大きな「おそれ」がありました。
適性検査で不合格で、面接まで行かないことがjほとんどでしたが、面接の時も、ひたすら隠し続けることで頭はいっぱいでした。

全部不合格。敗因はなんだったか、
もちろん、弱視のためではないとは言えないでしょう。
でも、いちばんの原因は、弱視のことを隠そうとして、
不必要な緊張を続けていたからだと思います。

 私の学科では、就職担当の教官はいましたが、弱視のことで相談できる機会は持てませんでした。
では、就職のことで誰が相談相手になってくれたかというと、大学の保健室の内科医と保健婦さんでした。
専属の内科医は、入学当初から私の学生生活に関心を寄せていてくださり、実験などが始まるときも、私の修学が大丈夫かどうか心配してくださいました。
ただし、眼科の専門医というわけでもないわけで、私の弱視のことも、私からもよく説明できませんでしたし、先生も余りよく理解できていなかったと思います。

今になって思うと、やはり、私にもソーシャルワーカー的な人が必要でした。
弱視のことを隠さなければ、悟られないようにしなければ・・・・・。
そんな気持ちだったからこそ、なかなか友達にも悩みを相談できず、一人で悩んでいましたから。

自己分析をしていくときに、自分が今までしてきたことについて、常に弱視のことが関わっているんだと感じました。
弱視があったからこそ、そのコンプレックスがバネになって頑張ることができた、そういうことも確かに多かったです。
でも、一方で、自分の性格的な問題や、やる気のなさのためにできないでいたことを、何でも弱視のせいにして逃げてきたのではないかと、思うときもありました。
4年生当時は後者の考えが私の心の中では勝っていて、なかなか弱視のことを認められませんでした。

卒業した今でもなお、この葛藤に決着はついていません。

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日常生活

 私は独り暮らしをすることに何もためらいも不安も感じていませんでした。親は勉強と家事との両立が出来るか、とても心配していました。
1年は下宿で、2〜4年は借間でした。
 借間生活では、一軒家を少し改装した所に、女性6人で住み、トイレ、お風呂は共同で使います。
 時々掃除当番が回ってきますが、そのときはもうものすごく神経質になります。
なぜかというと、私がきれいにしたつもりでも、晴眼の人にとっては
まだ完全ではないのを気がつかないでいるからです。
同居人の誰も私に忠告はしませんでしたが、時々訪ねて来る母に、
私はさんざん注意されていました。
 トイレは顔を近づけながら、お風呂の湯垢は見えないので素手で浴槽をさわって確かめながらやっていました。
 一方、自分の部屋はけっこういい加減でした。
 最初は、勉強についていけるかが心配で、アルバイトはできないと思っていましたが、結局近所でお総菜の調理補助のアルバイトを1年半ほど続ける事ができました。
 サークル活動もかなりのめり込んでやっていましたし、夜更けまで飲んでいたこともあります。
 私の大学生活は、とても充実していました。
 今になって思うことですが、入学当初は学生生活についていけるかがとても心配で、臆病になっていましたが、勉強だけでなく、自分の判断でやりたいことをできた、貴重な時間ですので、もっといろいろなことをやっておきたかったです。

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学内の表示

 大学にて、まず弱視者が直面する問題は、諸連絡が掲示板によって
行われるということです。
 掲示板に張り出される掲示物は、ほとんどがワープロで打った細かい字そのままのものでした。
 私の場合、掲示物は見えるものと見えないものが半々ぐらいでした。
それでも、掲示板のガラスに頬をくっつけて見ないと読めないので、人だかりになっていると見に行けなくて困りました。
わからないときは、人だかりの話しているのに聞き耳を立てて大まかな内容をつかんだり、友達やそのへんの人を捕まえて読んでもらっていました。
当時から単眼鏡の存在を知っていれば良かったですね。単眼鏡を使えば、大抵は見えたかもしれません。
 

 大学正門前の歩道には、点字ブロックがありましたが、学内には
ありませんでした。
キャンパスの通路は広くできていますが、 車、バイク、自転車、トラクター、馬、山羊、など、いろいろなものが頻繁に通るので、はっきり言って危ないです。棟から棟への教室の移動の時は気を付けなければなりません。

学内の講義室の案内板や、教室の看板はとても小さいので、
どこにどの教室があるか慣れるまでが大変でした。学内で迷子になりかけたことも。
特に、農学棟は、とにかく中が暗いので、慣れるのに時間がかかりました。同じ理由でトイレを探すのも大変でしたね。 
 
 
 

 最後に、私の場合、弱視のことで、特に大学側に特別な配慮をしていただくことはほとんどなかったわけですが、どんな障害でも、その種類や程度によって、大丈夫なこと、困ることがそれぞれ違いますから、障害者が入学する際に、生活のことも含めて本人の話を聞いて、大学側へ配慮を働きかけてくれる相談員が、各障害者についていてくれると、とても心強いのではないかと思います。学生はほとんどが初めて親元を離れて生活する人がほとんどです。一人で学生生活を始めてみないと、自分が鈍なことで困っているか、どんな配慮をして欲しいか、わからなかったことがたくさん出てくるはずです。そんなとき、一対一で話を聞いてくれて、すぐに大学側と連絡を取ってくれるような人がいると、かなり心強いと思います。もちろん、友達をいっぱい作って、協力してもらうことも必要です。
私のように、一見すると障害があるとはわからないけれども、学生生活に不安を抱いている人も、大学内にはたくさんいるはずです。
 自分から何で困っているか、主張できることも大切ですし、出来ることは何でもやってみる、という姿勢も大切だと思います。
大学側も、提案したらすんなり聞いてくれる柔軟な体制になってくれると、たいへんうれしく思います。

 
 
 

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